小森嗣彦が初日のトップウエイトをマーク/JB TOP 50 第3戦“ エバーグリーン CUP”:DAY 1

JB TOP 50が今シーズン第3戦の キックオフを迎えた。トーナメントウォーターは茨城県北浦。参加49名中35名がウエイイン、リミットメイクは2名という状況の中、トップウエイトとなる5,425gをマークしたのは小森嗣彦だった。以下、上位陣は2位黒田健史、3位吉川永遠、4位藤田京弥、5位市村修平となっている。トーナメントの詳細および成績は、JBの公式サイト“JB NBC NEWS”にて。

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「外来魚で琵琶湖の魚が減少、漁師も高齢化」 日本料理店が語るブランド湖魚のいま

 ビワマスなど琵琶湖で取れる湖魚を県がブランド化した「琵琶湖八珍」を学ぶ授業がこのほど、滋賀県東近江市の八日市南高であった。生徒にはなじみの薄い湖魚だが、授業後には「食べてみたい」との声が上がった。

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サクラ枯らす外来昆虫駆除 群馬県が警戒システム 発見者はスマホで

 サクラなどに寄生して枯らしてしまう特定外来生物のクビアカツヤカミキリが群馬県内で生息域を急拡大しているとして、県は被害木を見つけた人がスマートフォンで場所などの情報を入力するシステム「ぐんまクビアカネット」を開始した。被害情報を広く集め、早期の駆除につなげる狙いがある。【田所柳子】

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安藤毅・篠崎優希チームが優勝/W.B.S. Pro Tournament 第4戦:Final

茨城県霞ヶ浦でワンデイによって競われたW.B.S. 第4戦。リミットメイカー1チームという厳しいコンディションの中、4尾で4,260gをウエイインした安藤毅・篠崎優希チームが優勝を果たした。以下、2位が大石智洋・高木典之チーム、、3位中根亘・小濱利光チーム、4位西村嘉高・渕井守チーム、 5位今井新・鈴木涼太チームという結果となった。なお、ビッグフィッシュ賞(1,890g)は橋本卓哉・渡部博昭チームが獲得している。大会に関する詳細はW.B.S.の公式サイト、W.B.S.onLINEにて。

+W.B.S.onLINE

外来種は「撮って送って」 発見時のスマホ撮影を沖縄県が呼びかけ ハブやカエル、グリーンアノールなど10種対象

 沖縄在来の生態系を脅かす外来種の目撃情報を効果的に収集しようと、県環境部自然保護課は6月下旬からホームページ「沖縄外来種.com」の運用を始めた。外来動物を目撃した場合、スマートフォンなどで写真を撮影し、位置情報とともに県民に送信を呼びかけ、情報を集める。

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水に浮かぶ600匹の死がい 栃木県の渡良瀬遊水地でハクレン大量死

国土交通省利根川上流河川事務所は20日、栃木市藤岡町内野の渡良瀬遊水地内の池内水路で、コイ科のハクレン500~600匹が死んでいるのが見つかったと発表した。担当者は「ここ数日の水温の変化で、水中の酸素濃度が低下したことが影響したと考えられる」としている。

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オオサンショウウオ絶滅危機 広がる日中交雑種

日本固有種で国の特別天然記念物に指定されているオオサンショウウオと、中国の外来種との交雑種が広島市佐伯区の八幡(やはた)川で見つかったと、広島市などが発表した。これまで関西や岡山でも交雑種は見つかっているが、広島では初めて。今回見つかった5匹以外にも交雑種がいる可能性は高いといい、関係者は「在来種の存亡にかかわる大きな問題」と指摘している。

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フリッピングの父、ディー・トーマスが逝去

現在では世界的にポピュラーな釣りのテクニックとなったフリッピングの開祖であるディー・トーマス(Dee Thomas)が逝去した。享年85歳。1937年生まれのトーマスはカリフォルニア州を中心としたアメリカ西部で活躍。「フリッピングの父」として知られ、1975年にアーカンソー州ブルショール・レイクで開催されたB.A.S.S.インビテーショナルで優勝、同年のバスマスタークラシックにも出場している。バスフィッシングの後進エリアとされる西部在住のアングラーが本場東部で優勝したことは当時大きなインパクトであり、後世に語り継がれることとなった。以降、フルタイムではなく、仕事をしながら二足の草鞋を履く形で西部エリアでのトーナメントで活躍、2007年にはバスフィッシングの殿堂入りを果たした。2017年に肺がんを患っていることを公表し、闘病しながらトーナメントに出場していたが、帰らぬ人となった。