「琵琶湖に迷惑をかけた」上皇陛下が漁業関係者にどうしても伝えたかった”謝罪”の中身

2007年に滋賀県大津市で開かれた第27回全国豊かな海づくり大会の式典で、平成の天皇は驚きの発言をした。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは「異常繁殖したブルーギルが琵琶湖の在来魚を減らしていたことに対し、『ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰りました』と語り、『心を痛めています』と悔悟の念を明かされた」という――。

 ※本稿は、小田部雄次『皇室と学問』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

■四大行幸啓のひとつ、全国豊かな海づくり大会の始まり

 現在、天皇皇后の重要な皇室行事である四大行幸啓のひとつに、全国豊かな海づくり大会がある。この大会は1981年(昭和56)の大分県南海部郡鶴見町の第1回大会より始まった。

 これにより、天皇皇后の二大行幸啓であった全国植樹祭と国民体育大会に加え、全国豊かな海づくり大会が皇太子夫妻の行啓として加わった。その後、皇太子明仁夫妻が平成の天皇皇后となることで三大行幸啓となり、さらに1986年に第1回大会が開かれ、浩宮徳仁親王(後の皇太子、現天皇)が行啓した国民文化祭(2017年から全国障害者芸術・文化祭と合同開催)が令和になって加えられ、四大行幸啓となっている。

■日本の漁場の将来に強い関心を持っていた上皇陛下

 皇太子明仁夫妻の代にはじまった全国豊かな海づくり大会は、1957年6月20日に房総半島南端近くの千葉県館山市の北条海岸で行われた第2回「放魚祭」がきっかけといわれる。

 当時、乱獲や工場汚水の流出、海浜の埋め立てなどで漁場は荒廃しつつあり、皇太子であった平成の天皇は海や漁場の将来への関心を高めていた。このころ水産資源保護の重要性を伝えるため「放魚祭」が開催されており、その第2回目にまだ独身であった皇太子が臨席した。  古来、日本では、捕獲した魚や鳥獣を野に放ち殺生を戒める放生会の伝統があり、「放魚祭」はそうした儀式の再現でもあった。

 その後、1980年に当時の全漁連会長が東宮御所を訪れ、皇太子夫妻に「かつての放魚祭を充実させ、皇室のご理解のもと国民的行事として毎年開催し、豊かな海づくりを世論に訴えて参りたい」と語り、理解を得た。

 その後、宮内庁や水産庁などが協議し、全国規模で毎年開催される「全国豊かな海づくり大会」に皇太子夫妻が臨席する方向が示された(「『豊穣なる海への挑戦』40年秘話」『女性セブン』)。

 全国豊かな海づくり大会は、1981年に大分県で第1回が開かれ、毎年全国各地で持ち回りで開かれることとなり、85年の北海道サロマ湖での第5回大会では、大会翌日の早朝に皇太子自ら「胴長姿」になってサロマ湖に生息するハゼを捕獲するために湖に入るサプライズがあった。

 また美智子妃は翌86年の歌会始で、「砂州越えてオホーツクの海望みたり佐呂間の水に稚魚を放ちて」と詠んだ。

■環境問題において皇室が果たす役割とは

 1989年(平成元)8月4日、宮殿石橋の間での即位にあたっての記者会見で、平成の天皇は、在日外国報道協会代表に、「イギリスの王室は、環境、文化の問題について、積極的に発言をされてます。日本は、世界から地球規模の環境問題で積極的な役割を期待されている一方、環境破壊について、責任を問われています。こうした点で皇室の果たしうる役割を含め、いかがお考えでしょうか」と質問された。

 即位したばかりの平成の天皇は、こう答えた。

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現在環境の問題は、世界のあらゆる人々が関心を持たなければいけないほど相互依存性の強い問題になっていると思います。 皇室としては、ふさわしい在り方で、国民の関心が高まるように努めていきたいと思っております。皇太子時代、毎年豊かな海づくり大会に出席しましたのも、日本をかこむ海が少しでも良くなるように願ってのことでありました。 地球規模の環境が日本でもだんだん関心を集めてき、それに取り組む人々が増えてきていることを、大変うれしく思っております。
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■私的行為と公的行為が結びついた大会

 天皇に即位後も、全国豊かな海づくり大会に臨席し、全国の漁業関係者を励まし続けたのである。こうして平成の天皇が皇太子時代から関わってきた全国豊かな海づくり大会は、重要な公的行為の1つとなった。

 天皇や皇族の公的行為は、憲法や法令で規定されてはおらず、憲法に明記された天皇の国事行為には該当しないが、しかし純粋な私的行為ともいえず、かつ公的な意味を持った行為と明記されたものでもなく、政府などの承認を得ながら、広く国民に支持されてきたものと解釈されている。

 憲法に明記された国事行為と、公的行為が、いわゆる「ご公務」にあたる。一方、ハゼの研究は私的行為である。全国豊かな海づくり大会は、私的行為であるハゼの研究と、皇太子夫妻の公的行為とが結びついたものともいえた。

 つまり、平成の天皇が皇太子時代から築いてきた新しい行事であり、天皇皇后の「ご公務」となったものといえる。

■「心を痛めています」の真意

 ところで、2007年(平成19)に滋賀県大津市で開かれた第27回全国豊かな海づくり大会で、平成の天皇は式典で驚きの発言をした。

 異常繁殖したブルーギルが琵琶湖の在来魚を減らしていたことに対し、天皇は「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰りました」と語り、「心を痛めています」と悔悟の念を明かしたのであった。

■スズキに似た味わい

 天皇は皇太子時代の1960年に、訪米先のシカゴ市長から贈られたブルーギルを日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈していた。

 ブルーギルは体長10~20センチの北米原産で、主に肉食で繁殖力が強い淡水魚だった。スズキに似た味わいで、当時は食用魚として有望視されていた。

 このため、天皇の帰国と同便で持ち帰られたブルーギルは、食糧増産の目的で水産庁淡水区水産研究所が繁殖を試み、滋賀県と大阪府の試験場に数千匹が分け与えられたほか、本州や四国、九州の湖に放流された。

 しかし、食用としては定着せず、繁殖しながら分布域を広げ、大繁殖の結果、琵琶湖ではニゴロブナなどの漁獲量が激減した。

■たった15匹から異常繁殖

 このため生態系を脅かすブルーギルの駆除のため、水産庁は遺伝子の特徴を調べるよう水圏資源生物学者らに調査を依頼し、全国都道府県の56地点で計1398匹、原産地とアメリカの13地点で計319匹を採取し、ミトコンドリアDNAの塩基配列を解析した。

 その結果、国内で採取したすべてのブルーギルの塩基配列が、1960年に皇太子に贈られたブルーギルの捕獲地であるアイオワ州グッテンベルグの1地点で採取したものと一致した。  食糧難解決のため、国の政策として養殖を目指した結果ではあるが、皇太子が持ち込んだだけに、その説明が難しかった。それも15匹から大繁殖してしまったというのである。

■「琵琶湖に迷惑をかけた」との原稿

 実は滋賀県の海づくり大会の時の告知ポスターには琵琶湖を泳ぐブラック・バスの写真で在来魚が食べられる被害をPRしたが、同じ「厄介者」のブルーギルは外したという。「陛下との関係を考えると、避けた方がいい」と配慮したかららしい。

 大会3カ月前、準備室は宮内庁の求めに応じて、天皇の「お言葉」に関する県の原案を出した。在来魚の漁獲量回復を願う内容だったが、ブルーギルには触れなかった。

 ところが、式典2日前の11月9日午後10時半ごろ、宮内庁から県に「お言葉」の原稿がファクスで届き、そこには「琵琶湖に迷惑をかけた」という趣旨の内容があり、地元の関係者を驚かせた。

■事実を事実として認める姿勢

 準備室は深夜に県幹部と連絡をとり、ブルーギルの記述への対応を協議した。

 「ここまで言っていただくのは忍びない。削除の意見を伝えては」との声もあったが、最終的にはそのままで決定した。

 そして11月11日の式典当日、天皇は1300人の出席者の前で、ブルーギルを持ち帰ったことを語り、「当初、食用魚としての期待が大きく、養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています」と述べた。

 会場はどよめき、外来魚問題に悩まされてきた漁師たちは顔を見合わせて「陛下も心配してくれていたんだ」と口にした。当初の原稿は、「おわびの色合いがもう少し強かった」との証言もある。

 外来魚の食害が知られていなかった時代のことでもあり、むしろ、「勇気ある発言」として事実は事実として認めるという科学者らしい姿勢が、多くの人の心に残った(「天皇陛下のブルーギル『持ち帰り謝罪』発言 舞台裏を証言」『京都新聞』2019年4月26日)。

■琵琶湖にブルーギルを入れたきっかけ

 琵琶湖での式典の1カ月後の12月20日、宮殿石橋の間で開かれた天皇の誕生日に際する記者会見でもブルーギルが話題になった。

 記者は、「11月の式典のお言葉で、陛下はブルーギルの異常繁殖に触れられました。こうした自然財産の共有、式典でブルーギルに触れた発言をされるにいたった思いもお聞かせください」。

 天皇は、琵琶湖にブルーギルを入れたきっかけを、こう述べる。

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琵琶湖にブルーギルが入ったのは、淡水真珠をつくるイケチョウガイの養殖のために貝の幼生が寄生する寄主としてブルーギルを使いたいということで、水産庁淡水区水産研究所から滋賀県水産試験場に移されたものが琵琶湖に逃げ出したことに始まります。 当時ブルーギルを滋賀県水産試験場に移すという話を聞いた時に、淡水真珠養殖業者の役に立てばという気持ちも働き、琵琶湖にブルーギルが入らないようにという程度のことしか言わなかったことを残念に思っています。
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■30年で変化した釣り人の思考

 天皇は、「キャッチ・アンド・リリース」の習慣の浸透についてもふれた。

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30年前には釣った魚は食べることが普通でした。したがってブラック・バスやブルーギルを釣る人が多ければ、繁殖は抑えられ、地域の淡水魚相に変化をもたらすことはないと考えていましたが、現在は釣り人の間にキャッチ・アンド・リリースの習慣が浸透し、釣った獲物を食べるのではなく、そのまま放すことになったため、ブラック・バスやブルーギルが著しく繁殖するようになってしまいました。 ブラック・バスもブルーギルもおいしく食べられる魚と思いますので、食材として利用することにより、繁殖を抑え、何万年もの間、日本で生活してきた魚が安全に育つことができる環境が整えられることを願っています。この目的に沿う釣り人のボランティア活動にも大きな期待が寄せられます。
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 魚類学者である天皇ならではの、明快な説明であった。

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小田部 雄次(おたべ・ゆうじ) 静岡福祉大学名誉教授 1952年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。専門は日本近現代史。『皇族』(中央公論新社)など著書多数。
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