マンションが林立する東京・江東区にタヌキが出没し、話題になっている。区役所に寄せられた目撃情報は、今年4月から半年余りで昨年度1年間の2倍に上った。西の杉並区でもこの夏、住民からの通報が激増した。何が起きているのか。コロナ禍で飲食店が店を閉めたため、残飯を食べていたタヌキが街中に出てきた、という説もある。真偽のほどはわからない。
■東京・江東区でタヌキとの遭遇が話題に
東京・江東区でタヌキが出没していることを私が知ったのは、11月1日に同区の環境イベントで、たまたま居合わせた住民から聞いた話がきっかけだった。
「10月半ばに、住んでいるマンションで張り紙が出た。防犯カメラに映ったエレベーターホールを歩いている2匹のタヌキの写真とともに、『タヌキが出入りするので、ドアを閉めます』とありました。初めて聞いた話で、もうびっくり。どうしたわけなんでしょうか」
東京西部の多摩地区などにタヌキがいる、という話は聞いたことがあったが、江東区にタヌキが出現、という話は驚きだった。江東区役所に聞いてみると、確かに目撃情報が増えていた。「タヌキは在来の野生生物で、アライグマなどの外来生物と違って調査する必要もないので、とくに集計はしていません。ただ、昨年度から目撃情報が増えてきたと感じ、件数を記録しています」(環境保全課)。
調査係の担当者によると、2019年度は5件。2020年度は、4月から11月16日までの間に10件(うち1件は、通報者がタヌキかハクビシンか見分けがつかなかった)で、「マンションの入り口に防犯カメラがあり、それに映った」(同区南砂で)、「池の近くにいた」(区内横十間川親水公園で)などの声が寄せられた。担当者は、「電話で通報してくださった方には、刺激しないように、触らないように、餌をあげないで、子どもが近づかないようにしてください、とお願いしています」と話した。
街中でタヌキを見かけたからといって区役所に通報する人は少ないだろう。今年4月から11月半ばまで10件というのは、あくまでも区に電話があった件数。実際の目撃はもっと多いはず、と思って、ツイッターを検索してみた。
「南砂町の近くでタヌキ2頭に遭遇。居酒屋の裏道から現れて、駅のほうに走っていった」(3月4日)、「江東区清澄白河駅から徒歩3分のマンション住民です。さきほど自宅の下でタヌキに遭遇」(10月3日)、「江東区北砂の河川敷にタヌキ。餌付けしているオヤジいた」(10月5日)などの発信があった。
■杉並区では10年前から定着していたが…
アスファルトとコンクリートの街、という印象がある江東区にタヌキは驚きだったが、東京の西部では、驚くことではないらしい。杉並区の武蔵野市との境にある東京女子大学では、「もうずいぶん前から、たくさんいます。学内に設置した自動カメラにいちばんよく写った動物はタヌキです」と、石井信夫・東京女子大学名誉教授(哺乳類生態学)は話す。
タヌキは昔から日本にいる在来の野生生物。「外来生物のアライグマは、感染症のウイルスを媒介するマダニを運んでいる可能性があると聞くが、タヌキは危険ではないと考えてよいか」と石井教授に聞いた。
「そんなことはありません」という答えが返ってきた。「例えば、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)という新興感染症ウイルスを持っているマダニは、アライグマだけでなく、ネコにもタヌキにも付きます。野外にいる動物にはいろいろなダニやノミがいます。近づいたり餌をやったりすることはお勧めできません」。
実際、杉並区では、「疥癬(かいせん)を持っている(皮膚病にかかっている)タヌキがいるなど、住民からどうしても駆除してほしい、という申し出があった場合、業者がオリを貸して、捕獲回収している」(環境課)。こうしたタヌキが駆除された件数は、2020年度は、4〜8月の5カ月で34件と、2019年度の11件、2018年度の9件に比べ、ダントツに多かった。
その背景について、関係者は、「新型コロナの感染拡大のため、休業や廃業した飲食店が多く、残飯を餌にしていたタヌキが、食べ物を求めて街中に出てきたのではないか」「自宅勤務となり、家にいる時間が長くなり、タヌキの存在が気になるケースが増えたのかもしれない」と推測している。
一方、「タヌキが飲食店の残飯をあさるとは思えない。木の実や果物などを食べていて、人間の生活圏には入ってきていないのではないか」(生活を脅かす動物を駆除する会社や団体で構成される公益社団法人東京都ペストコントロール協会)という指摘がある。
とはいえ、都会のタヌキの食生活などの実態はまだ解明されていない。広く目撃情報を集めて生息分布の把握を目指す「東京タヌキ探検隊!」は、フンの採集・分析を行ってきた。隊長の宮本拓海氏は「都会のタヌキは人間が出した生ごみも食べている。しかし、飲食店の残飯をあさっている姿を目撃した例はない。フンの分析も、サンプル数がまだ少ない」としている。
この点、石井教授は「飲食店の残飯をあさっていたタヌキが、餌を探して今までいなかったところに出てくるということもあるかもしれませんが、調べてみないとわかりません」と結論づけた。
■アライグマ、ハクビシン、タヌキ
江東区と杉並区の例を紹介した。江東区の数字は、住民から区に通報のあったタヌキの目撃情報、杉並区の数字は駆除件数で、いずれも2020年夏には前年に比べ、増えていた。都会のタヌキの生息数や生息実態はわからないことが多い。東京の街にタヌキが増えていると確実には言えないが、「人とタヌキの遭遇」は増えたようだ。
近年、アライグマ、タヌキ、ハクビシンの都市への“進出”が目立つのは間違いない。区市町村で住民からの通報や相談を受ける環境課などが担当する野生動物には、この3種類が含まれる。
アライグマは外来生物の中でも、生態系や人の生命・身体・農林水産業への被害を及ぼす、もしくはその恐れがある「特定外来生物」に指定されている。いわば、「WANTED(指名手配)」されている。日本では、1970年代後半にアライグマが登場するアニメがテレビで放映されたのをきっかけにペットブームが起きて輸入された。
その後、飼い主のもとから逃げ出したり、飼い主に捨てられたりして、全国に生息域を広げた。マダニの体内には、人に重症熱性血小板減少症候群という新興感染症をもたらすSFTSというウイルスがいることがあり、アライグマはマダニとSFTSウイルスの運び屋となっているとみられている。またアライグマは日本では撲滅された狂犬病ウイルスを媒介する生物としても知られる。
ハクビシンは外来生物で、江戸時代に持ち込まれたとされる。アライグマのように新興感染症ウイルスとの関係で特に注意するべき存在ではないが、2002〜2003年に中国や台湾を中心に感染が拡大したSARS(重症急性呼吸器症候群)のウイルスの自然宿主ではないかと、疑われたことがある。2005年になってSARSウイルスの自然宿主はキクガシラコウモリであることがわかったのだが、一時は「悪いイメージ」が広がった。
タヌキは昔から日本にいる在来生物で、民話や童謡などにもよく登場する。在来、外来生物を問わず、野生生物が人間の生活に被害をもたらす場合、鳥獣保護管理法に基づいた有害鳥獣捕獲を行うことがある。ハクビシンやタヌキの場合、屋根裏や軒下に入り込み、糞尿による悪臭が広がったり、農作物や庭の植物を食べたりする被害が出ることがある。
手続き的には、区市町村が都道府県に有害駆除申請を行う。実際には、区市町村からの委託を受けた駆除業者が年度初めなどに一定期間の範囲で申請し、許可を得ている。
■飲食店の休廃業
新型コロナウイルスの感染拡大のなか、緊急事態宣言が出されたころ、東京の街を歩くと、休業のお知らせを出してシャッターを下ろした飲食店が目立った。その後、再開した店も多いが、よく行ったレストランが店を閉めてまったく別の店になっていたり、テイクアウトに切り替えたりした店もある。
帝国データバンクによる新型コロナ関連倒産の統計でも、業態では「飲食店」が、都道府県別では「東京都」が最多だ。再び感染が拡大傾向に転じた「第3波」のなか、ようやく客足が戻る兆しが見えていた飲食店は苦戦している。東京都による営業時間短縮の要請に従う店も、従わない店も客足は大幅に減るだろう。
飲食店の経営者や従業員、食材をおさめていた流通関係者、生産者と影響の及ぶ範囲は広く、ダメージは計り知れない。飲食店の残飯を食べていたかもしれない野生生物にもその影響が及んでいるのか。人間さまとしては、そうした野生生物と遭遇した場合、むやみに近づいたり、餌やりをしたりしないようにしたい。野生生物と人がうまく住み分けることが、さまざまな感染症ウイルスを避けるためにも必要だ。
河野 博子 :ジャーナリスト
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