科学者たちは、その植物のことを「Ambrosia artemisiifolia」という学名で呼ぶ。だが多くの人にとっては、「悩みの種」と呼んだほうがしっくりくるかもしれない。ブタクサの名で知られるこの植物は、夏から秋にかけて辺り一帯に強力な花粉を飛散させ、くしゃみや鼻水、目のかゆみといった症状を伴う花粉症を引き起こすからだ。
ブタクサの原産地はアメリカ大陸である。しかし、その分布は図らずもアジアやアフリカ、欧州にまで広がり、いまや世界中に苦痛と経済的負担をもたらしている。それは花粉症による欠勤日数や医療費といった数字を見てもわかるだろう。
天敵の投入で花粉が8割減!?
生態学者や昆虫学者、疫学者、医師などからなる研究グループの試算によると、ブタクサによるアレルギー患者は欧州全体で1,350万人にのぼり、その治療にかかる医療費は年間74億ユーロ(約8,550億円)にもなっているという。
この研究グループは、ブタクサ問題の解決策となりうる方法についても検討している。調査によると、ブタクサの天敵である北米原産の甲虫「ブタクサハムシ(学名:Ophraella communa)」が外来種として入り込んでいる欧州の地域は、そうでない地域と比べてブタクサの花粉量が80パーセントも少ないことがわかったというのだ。
研究グループは、この体長約3mmの小さな甲虫を各国に安全に導入できれば、花粉症患者を減らし、医療費を削減することが可能だと主張している。なお、今回の研究結果をまとめた論文は自然科学の学術誌『Nature Communications』に掲載された。
ただし、ブタクサハムシを無計画に放出すべきだと言っているわけではない。というのも、こういった生物的防除(天敵を用いた防除)を実施するには、それが生態系に大きな混乱を引き起こさないよう何年もかけて慎重に実験を続ける必要があるからだ。
ブタクサの再生能力vs虫の食欲
ブタクサは植物のなかでは最大級の厄介者である。ブタクサから花粉や種子がつくられないようにするには、対象地域全体で年3回の刈り取りを行なう必要がある。
「たとえ年2回、地面から5cmの高さまで刈り取ったとしても、まったく刈り取りをしなかった場合と同量の花粉がつくられます。ブタクサは非常に強い再生能力をもっているのです」と、スイスのフリブール大学の生物学者で論文の共同執筆者でもあるハインツ・ミュラー=シェアラーは説明する。だが、ブタクサが盛んに成長を続けるのと同じように、ブタクサハムシもそれを盛んにむさぼる。
「ブタクサハムシは食べて、食べて、食べまくるんです」と、ミュラー=シェアラーは言う。「いまにも花を咲かせそうな高さ1mのブタクサも、ひとたびブタクサハムシに襲われると、たちまち茎だけになってしまいました。ブタクサハムシはたった2日で、そのブタクサを死滅させたのです」
ブタクサとブタクサハムシが自然のなかで共存してきたアメリカ大陸では、この敵対関係によってブタクサが抑制されてきた。だが、ブタクサハムシが生息していない欧州にもちこまれたブタクサは、猛威を振るい出したのだ。
ブタクサの密集度が高まるほど、そして生息期間が長くなるほど、ブタクサに対するアレルギーを発症する人の割合も増加していく。ハンガリーはとりわけ深刻で、人口の30〜40パーセントがブタクサアレルギーをもっているかもしれないという。
「暴露量が多くなるほど、より過敏になります」と、ミュラー=シェアラーは言う。「そして過敏になるほど、症状もいっそう重くなるのです」
年間10億ユーロの節約に?
ミュラー=シェアラーと共同研究者たちは、さまざまな出典元からデータを集め、ブタクサアレルギーによる経済的負担を算定した。使われたデータのひとつは、抗アレルギー薬の売上高だ。
春に花粉を撒き散らすほかの植物とは違い、ブタクサは晩夏から初秋にかけて花粉を飛散させる強力なアレルゲンである。このため、研究者たちは欧州における晩夏から初秋の抗アレルギー薬の売上高に、ほかの花粉の影響を加味する必要はないと考えた。算定の結果、ブタクサハムシが生息する地域では、そうでない地域に比べ、抗ヒスタミン薬の売り上げが80パーセントも少ないことがわかったという。
さらに研究者たちは、アレルギー治療のために患者が医者にかかる回数に関するデータも調査し、アレルギー患者が報告した症状の程度、服用薬の種類、欠勤日数などを含む「花粉患者日誌」のデータも組み込んだ。最後に降雨量や気温といった変数をもとに、欧州内でブタクサハムシが繁殖可能な地域をモデル化した。
こうして該当地域にブタクサハムシを投入した場合の効果を算定したところ、ブタクサアレルギー患者は最大230万人減少し、医療費は年間10億ユーロ(約1,155億円)以上が削減できる結果になったという。
導入前に、10年かけた調査が必要
とはいえ、単にブタクサハムシを大量に輸入して放出すればいいというわけではない。意図的に外来種を導入することがブタクサ防除に効果的だとしても、それが在来種の植物も餌にしてしまうかもしれないからだ。
自然生息地でブタクサを主食にしているとはいえ、新たな環境におかれたブタクサハムシが、ほかの重要な穀物を食べる可能性がないとは言い切れない。それゆえ、まずはブタクサハムシがほかの植物にどう反応するのか検証する必要がある。
また、ブタクサハムシがほかの生物とどのように影響し合う可能性があるかについても確認する必要がある。その過程を怠れば、取り返しのつかない厄介な事態を引き起こしてしまう恐れもあるのだ。
「調査には10年を要します」と、ミュラー=シェアラーは言う。「ブタクサハムシが本当にブタクサを常食とするのか、そしてどの程度の量を食べるのかといったことを、数世代にわたって調べる必要があるのです」
それでもブタクサの防除によって欧州経済の負担をどれだけ削減できるかを考慮すると、これには一考の価値がある選択肢だとミュラー=シェアラーは考えている。「われわれの学際的研究の結果は、ブタクサハムシについて、さらに欧州内の気候的に適した地域全体にブタクサハムシを計画的に分布させることについて、包括的なベネフィット・リスク評価を実施する妥当性を示すものである」と、論文には書かれている。
天敵の導入が状況を悪化させたケースも
ひとつの生態系において、生物同士は極めて複雑に影響し合う。このため新たに外来種をもちこんだ場合、意図する対象とどう影響し合うか予測するには、やはり複雑な調査が必要になるのだ。
しかも、そのような研究を経たとしても、科学者を驚かせる相互作用が生じるケースさえある。過去に米国西部では、外来種であるロシアアザミを防除するために、研究者たちによって「boring moth」(この「boring」は「退屈」の意味ではなく「穴を開ける」という意味)と呼ばれる穿孔性の蛾が導入されたことがある。
「状況は悪化しました。蛾は確かに枝先に食いついて穴を開けたのですが、それによってロシアアザミが枯れて地面を転がる際に種子を落としやすくなってしまったのです」と、カリフォルニア大学デイヴィス校の昆虫学者リン・キムジーは話す(キムジーはミュラー=シェアラーらによる今回の研究には参加していない)。
「つまり、これは失敗でした。ロシアアザミを防除するどころか、その勢力拡大を促すことになってしまったのですから。こういったことも起きます。生物学の問題はなかなか厄介なのです」
期せずして広まった場合はどうなる?
欧州各国がブタクサ防除のためにブタクサハムシを導入した場合、やがてブタクサハムシが多種多様な植物を食べる「ジェネラリスト」へと進化するのではないかという懸念も出てくるだろう。
だが、カリフォルニア大学リヴァーサイド校の昆虫学者で生物的防除の専門家でもあるマーク・ホドルは、その心配はないと言う(ホドルも今回の研究には参加していない)。ジェネラリストが特定の餌だけを食べる「スペシャリスト」になる可能性はあるが、その逆はないというのだ。
「生態学において、ジェネラリストは多様な植物を食べるための特性を消したり限定的にしたりすることで、スペシャリストに進化するものだと広く受け入れられています。そこから、ジェネラリストに必要な特性をすべて獲得するように再び進化することは、不可能ではなくとも極めて難しいと言えるでしょう」と、ホドルは話す。
この特性とは、1年の異なる時期に異なる植物を食べるための生理機能や行動、生化学的特性などを意味する。
だが、もしブタクサハムシが人為的にではなく、期せずして欧州の別の場所から広がってきたとなれば、時間をかけて慎重な調査をする余裕などない。ミュラー=シェアラーによると、ブタクサハムシはすでにフランスに侵入しているが、フランスはそのまま成り行きを見守ることを決断したという。
これが決して“ムシ”できない重い決断であることは確かだろう。
MATT SIMON
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