日本初、釣り人のための月額制レストラン その驚きの巻き込み力

 釣った魚を持ち込むと、腕利きのシェフが自宅で持ち帰れるようにその場でさばいてくれる、しかも希望すればイタリアンのコース料理に仕立てて食べさせてもくれる――。東京やその近郊の釣り愛好家の間でひそかな人気を呼ぶ月額5000円の“サブスクリストランテ”が、東京・六本木の裏通りにある。釣り愛好家なら誰でも抱えている困りごとを解決する目の付け所は、飲食業以外のサブスクリプションビジネスにも大きな気付きを与えてくれる。


 「今日はね、パパと横須賀に行って、タチウオを11匹も釣ったんだよ。すごいでしょ」。2020年3月中旬の日曜日の午後、小学校2年生の男の子は、父である古山隼人さん(仮名、32歳・都内在住の会社員)とイタリアンレストラン「釣り人」を訪れていた。自分が釣ったばかりの魚を手際よくさばく佐藤剛シェフと談笑しながら、興味深そうに作業の様子を見つめていた。
 釣り人は、日本で初めてとなる釣り愛好家を対象にした、サブスクリプション型の会員制レストランだ。毎月5000円を会費(入会金2万円が別途かかる)として支払うと、1回当たり35キログラムまでなら自分で釣った魚をいつでも持ち込んで佐藤シェフにさばいてもらえる。内臓を取り出し、頭を切り落とし、三枚におろすなど食べやすいサイズにカットするところまで全部やってくれる。
 2017年の開店からその評判が口コミで徐々に広がり、ほとんど宣伝をしていないにもかかわらず現在約70人の会員が集まっているという。
 そもそもこのレストランが誕生したきっかけは、オーナーでマーケティング関連会社を経営する佐野順平氏の素朴な悩みにあった。佐野氏は、関東の近海だけでなく全国に足を運ぶ大の釣り好き。ただ、大きな魚を釣り上げたり大漁だったりすると、釣った瞬間はうれしくても、自宅に持ち帰った後の処理でいつも困窮していた。
 というのも、数十キロの大物は、とてもじゃないが自宅の台所のまな板には乗りきらず、家庭用の包丁でさばくのも難しい。逆に小さくても数が多ければ、釣りで疲れ切った体にムチを打って延々とおろす羽目になる。
 この悩みは釣り愛好家なら誰でも抱えているはずで、だったら負担を少しでも軽減する方法はないかと考えた末に、思いついたのが自ら釣り愛好家のためのレストランを経営してしまうことだった。しかも、サブスクリプション型による運営によって安定的な収益を上げる代わりに、かゆいところに手が届く様々な工夫を随所に凝らしてしまおうというアイデアを思いついた。
●200匹近いアジや、大物のキハダマグロでも
 佐藤シェフの手に掛かれば、大抵の魚は大きさや量を問わず、処理に掛かる時間は15分から30分ほど。合計35キログラム以上は要相談だが、これまでに1回で200匹近いアジが持ち込まれたケースや、数十キログラム級のキハダマグロ数本をさばいたこともあるという。過去最大の大物は、オーナーが釣ってきた83キログラムの深海魚アブラボウズだったそうだ。
 自宅に持ち帰った魚の処理で釣り愛好家がよく陥りがちなトラブルとして、ゴミ問題がある。良い釣果ほど処分しなければならない内臓の量が増え、丁寧に袋に詰めて捨てても、異臭などが出てしまうことがある。「ご近所からクレームが寄せられ、家族に迷惑がかかる釣り愛好家は意外と多い」(佐藤シェフ)
 前出の古山さんの場合、こうしたトラブルを避けるため、以前は近くの大型スーパーの鮮魚コーナーに持ち込んで料金を支払ってさばいてもらっていたという。釣りの帰り道に一度釣り人に寄ってプロにさばいてもらえれば、少し待てばスーパーで買ったような切り身に仕上げてくれるし、内蔵の処分に頭を悩まされることからも解放されるわけだ。
 釣り愛好家が抱えがちな問題は、もう一つある。その日には食べきれないほど大漁だった場合、冷蔵庫がパンクしてしまい保管に困るケースだ。ご近所に配るにしても限界がある。釣り人が釣り愛好家たちに愛される理由は、実はこの課題に対しても正面から解決策を提示しているからに他ならない。
 実は、一部をレストランに預けて冷凍保管してもらえるのだ。店内には、マイナス60度の巨大な業務用冷凍庫が設置されており、最低1年間は解凍してもおいしく食べられる状態で預かってもらえる。佐藤シェフによると、「釣った日には、家族とすぐに食べるためにお刺し身用のブロックだけ持ち帰り、残りは友人との飲み会で振る舞うか、他の会員へお裾分けするために放出するために預ける会員が大半」だという。
 冷凍庫のスペースには限りがあるため、長期に大量に預かってもらうことは難しいというが、それでもありがたいサービスには違いない。裏を返せば、釣りすぎて後で困ることがないので、気にせずどんどん釣り糸を海に垂らしてよいわけだ。釣り愛好家にとってこんなにうれしいことはないだろう。
 佐藤シェフが本領を発揮するのは、釣った魚を使った料理に腕を振るう瞬間だ。希望すれば腕利きのシェフに、しかもイタリアンのコース料理として調理してもらえるわけで、自宅に持ち帰ってお刺し身などで食べるのとはまた違った楽しみがある。前出の古山氏も時々友人と食べに訪れるといい、「そもそも自分が釣った魚はおいしいと感じるもの。しかもそれを極上に仕立ててくれるのだからたまらない。料理してもらえる権利も含めて月額5000円なのは、正直安いと感じている」と話す。
 現在会員の多くは釣り帰りは疲れているためか、その日ではなくいったん魚を預かってもらい、後日改めてこの店を訪れるそうだ。このため、自分が釣った魚に加えて放出分として他の会員から預かった魚を生かしたメニューを佐藤シェフに事前に考えてもらっている。
 佐野オーナーが、魚料理を出す和食店ではなくイタリアンレストランにこだわったのは、自分で釣った魚を日常では食べられない特別な料理に仕立てて楽しんでほしいと考えたからだ。佐藤シェフは、イタリアで魚介専門の星付きレストランでスーシェフを務めたこともある、この道20年のベテラン。しかも絶妙な話術を心得ているので、オープンキッチンで手際よく調理しながら、カウンター越しに客とも軽快なトークを交わす。その腕を買い、佐野オーナー自らスカウトした。
 提供するのは、2種類のコース料理だ。一つがフリードリンク付き4品(1人当たり4000円)、もう一つは1ドリンク付き2品(1人当たり2000円)。4品のコースなら「前菜」「メインディッシュ2種」「パスタまたはリゾット」といった具合である。シェフの腕や立地を踏まえるとかなりお得なのは、言うまでもなく釣り愛好家が持ち込む魚を使えるので仕入れのコストや手間が大幅に省けるためだ。
●釣りをしない人でも月額1000円で食べられる
 実は、釣り人が提供するサブスクサービスには、もう一つの会員クラスがある。月額1000円で加入できる「釣り人応援会員」がそれだ。釣りはしないがおいしい魚料理は食べたい――。そんな一般客を対象にしたクラスだ。現在約100人が契約しているという。釣りが趣味でない人でも、釣り愛好家が釣った放出分の魚を使ったコース料理をいつでも堪能できるわけだ。コースの種類や料金は、愛好家向けと変わらない。通常会員が土日に集中する一方で、平日は応援会員がよく訪れこの店の運営を支えている。
 「鮮度の良い魚が常に冷凍庫にいつもずらりと並んでいる。店内に豊洲市場があるようなもの」(佐藤シェフ)。しかも、「クロシビカマス」「ヤガラ」といった市場にはほとんど出回っていない珍しい魚が会員から持ち込まれることもある。通常のレストランで働くよりも、メニューの振れ幅が大きく、料理を考案する際の醍醐味が大きいそうだ。
 ちなみに、忙しくて釣りに行けなかったり、いわゆる“ボウズ”で1匹も釣れなかった通常会員向けにちょっとした気配りがある。魚を一度も持ち込まなかった月には、4000円のコース料理を食べられる食事券がプレゼントされるのだ。有効期間は3カ月間なので、食べる楽しみだけは得られるというわけである。
 六本木のイタリアンレストランが提供する釣り愛好家のためのサブスクサービスは、一般には知られていないある消費者群だからこそ抱える特有の課題に向き合い、その解決だけでなく、プラスアルファで斬新な体験を提供する試みが新しい。
 特定の趣味を愛するファンが、なんらかの課題を抱えて悩んでいるのはなにも釣り市場だけではないだろう。例えば矢野経済研究所の調査によると、2018年度の特定の趣味による「オタク市場」の規模はアニメは2900億円、プラモデルは278億円、鉄道模型は112億円、プロレスは137億円、サバイバルゲームは105億円だったという。
 それぞれの趣味経済圏には、必ずなんらかのファンが抱える悩みが眠っている。そしてそれらは、釣り人の経営者が釣りの愛好家だから気付けたように、提供する側が熱烈なファンだからこそ課題解決の道筋を思いつく。永続的な関係をファンとの間で築くチャンスはそこかしこにある。今後は全消費者をターゲットにすえない、趣味特化型のサブスクリプションビジネスが勃興するのかもしれない。
高田 学也
+Yahoo!ニュース-経済-日経クロストレンド