マンボウ「3億個の卵→2匹生き残る」の噂はなぜ広まった? 専門家に聞いた「3億どころじゃないですよ」

「マンボウは3億個の卵を産むが、成魚になれるのは2匹程度」――。マンボウの「弱さ」を強調する語り草となっていますが、この生態について専門家は「実態はわからない」と話します。実は、100年前の論文をきっかけに、伝言ゲームのように内容が脚色され、正しさを欠いたまま広がってしまった情報なのです。「マンボウは弱い」などのさまざまな俗説を取材してきた筆者は、未だに謎に包まれているマンボウの繁殖や産卵について、専門家に詳しく聞きました。

なぜ「3億個の卵を産卵→生き残るのは2匹」が広がったのか

話を伺ったのは、『マンボウのひみつ』(岩波ジュニア新書)などの著書がある、海とくらしの史料館(鳥取県境港市)の特任マンボウ研究員・澤井悦郎さんです。マンボウの分類や生態の研究のほか、インターネットミームとして「マンボウは死にやすい」という誤った情報が広がる現象についても調査をおこなっています。

――「マンボウは3億個の卵を産むが、成魚になれるのは2匹程度」というのは本当なのでしょうか?

正しい情報と間違った情報が混ざっています。そもそも、マンボウがどれだけの卵を産むのか、またそこからどれくらいの数が成魚になるのかはまったくわかっていないんです。

――では、なぜこのような噂が生まれたのでしょうか?

発端は1921年、つまり100年以上前にイギリスの有名な科学雑誌『Nature』で発表された、Schmidt氏の論文です。この論文には、「マンボウの卵巣内に3億個以上の小さな未成熟の卵が含まれていることを発見した」という短い一文が記載されています。

――となると、「3億個の卵を産む」というのは本当だったということでしょうか。

そうではありません。現代の知見では一般的に、「未成熟の卵」は「これから産み出される卵」として数えません。メスの体内で成熟していく過程で、卵の細胞数が変わり、また細胞の成熟具合によって産み出される卵の数も変わるためです。ふつう、魚類の卵の数を推定するときは、成熟した卵のみ数えます。

そもそも、メスが体内で抱えている卵の数「抱卵数」と、体外に産み出される卵の数「産卵数」は定義が異なります。少しややこしいですが、一般的に使われている「魚類の卵数」は推定された「抱卵数(卵巣内の卵の数)」のことで、産卵数(体外に出された卵数)ではありません。

――「抱卵数」と「産卵数」は、どれくらい違うのでしょうか?

詳しい数の違いは私にはわかりません。しかし、マンボウはおなか(卵巣)の中の卵を一度に全部産むわけではないと考えています。

魚の種類によって産卵の形式は変わりますがが、魚類は一般的に、産卵期に成熟した卵を複数回に分けて産み、未成熟の卵は次の産卵期まで持ち越します。推定方法にもよりますが、1回の産卵数は抱卵数よりも実際は少なくなると考えられます。

しかし、もととなった100年前の論文があまりに有名なんです。これがさまざまな論文や魚図鑑に引用される過程で情報が簡略化されて、「卵巣内に3億個以上の小さな未成熟の卵が含まれている」が、いつの間にか「3億個の卵を産む」になってしまったようです。まさに100年にわたる伝言ゲームと連想ゲームです。

――では、「おとなになれるのは2匹だけ」というのも……。

もととなった論文(Schmidt[1921])には、そんなことは一言も書かれていませんし、マンボウの生存率を推定した研究もまだありません。

卵数のインパクトに対して「3億個も産卵するならマンボウはもっと海で見られるはずなのに、実際はそうなっていない」というイメージから、「少なくとも雌雄の2匹が生き残れば、種として存続できるだろう」と推測して誰かが魚図鑑などに書いたのが始まりでしょう。「イメージ」は毒にも薬にもなるので、注意が必要です。

そもそもマンボウの生存率というのは、マンボウを食べる捕食者の数とマンボウが食べる餌の数などの生態系の関係によって左右されます。捕食者が増えればマンボウは減りますし、餌が増えればマンボウも増えます。

そういった繰り返しのなかで地球上のマンボウの数は常に増減しているはずなので、「2匹」という数で示せることに強い違和感があります。「マンボウの生存率は不明」ときっぱり書かれている論文もあります。

つまり、今後マンボウの生存率を推定した論文が発表されるまでは、マンボウがどれくらい生き残れるのかは誰にもわからないのです。

ある研究では「8億個」の報告も!

――そういった経緯だったのですね。ただ産卵数についていえば、抱えている卵が最終的にすべて産卵されれば、3億個近い卵からマンボウがかえることもありえるのではないでしょうか。

マンボウが生涯にどのくらいの卵を産むかはわかりませんが、トータルで考えると3億どころではないでしょうね。しかし、ヒトがそうであるように、卵はつくられ続けても、すべての卵が生命の誕生につながるわけではありませんよね。

メスの体内で卵が成熟し、それを複数回に分けて産卵したとしても、受精にはオスの存在が必要不可欠です。

マンボウは体が小さな頃は群れで生活していますが、成長すると単独行動をする傾向があります。メスがオスと出会えない場合でも、成熟した卵をずっと体内で抱え続けるわけにもいきませんから、そのまま産卵することもありえるでしょう。

――なるほど、では実際の卵の数はどのように知ることができるのでしょうか。

抱卵数は卵巣内にある「成熟した卵」の一部を計量・計数して、その重さを卵巣の重量に引き延ばして数を推定することが多いです。ただマンボウの場合、これまで野生個体で成熟した卵が見つかった例はないんです。

そもそもマンボウは外見から雌雄の違いがわかりにくいですし。また、マンボウが卵からかえる様子を観測した記録もないので、「どれくらい生まれるか」も全く不明です。

ただ2020年の研究例では、「マンボウの卵巣全体の卵の細胞数は8億個以上と推定された」という報告もありました。

――もっと増えてるじゃないですか……。個体によってかなり差がありそうですね。

Schmidt(1921)の3億個の知見から派生して、マンボウは「最も多くの卵を産む脊椎動物」といわれています。魚類自体、脊椎動物のなかでも卵数は多いのですが、マンボウはさらに多いみたいですね。

また、抱卵数は卵巣の大きさによっても異なります。マンボウは今のところ最大36kgの卵巣をもつことがわかっていますが、マンボウによく似た仲間の「ウシマンボウ」のなかには、117kgもの卵巣をもつ個体も見つかっています。

一般的には卵巣は大きくなればなるほど卵の数も増えるので、マンボウよりもウシマンボウのほうが多くの卵を産む可能性があると私は考えています。今後の研究に期待ですね。

水族館での産卵事例が1件だけあった!

――謎に包まれているマンボウですが、水族館で飼育されているくらい身近な存在でもありますよね。水族館で産卵した事例はないのでしょうか?

私が知る限り、1件だけあります。しかも日本で、です。

――えっ!

千葉県にある「鴨川シーワールド」で1997年2月に、体長約1mのマンボウが産卵したという記録があります。

――これで産卵の様子や卵の数がわかるのではないでしょうか。

それが、文献には簡単な内容しか書かれていないので詳細はわかりませんが、回収できたのは産卵した卵の一部だったため、総数までは推定できないようです。

――まさか日本で世界初の産卵が観測されていたとは驚きです。ちなみに、マンボウの卵ってどんなものなのでしょうか。

その文献によると、「透明なゼリー状の卵塊を放出した」とあります。私も実物は見たことはないのですが、個人的にはカエルの卵のようなものではないかとイメージしています。アンコウとかがこういうタイプの卵を産みますよね。

これに関しては私の経験談で不思議な話がありましてね。以前、小笠原諸島(東京都)に調査に行ったときに、ダイビングショップをまわってマンボウの情報を集めていたんですよね。そのときに「マンボウの産卵を見たことがある」というダイビングショップの方に出会って、その方が「カエルの卵みたいな卵だった」って言ってたんです。

――マンボウから、カエルの卵みたいな卵……。

実際にどんな姿をしているか、気になりますよね。

「マンボウは死にやすい」日本独自のイメージ

――ほかに、マンボウの産卵や繁殖についてわかっていることはあるのでしょうか?

繁殖期になるとマンボウが集まる産卵場が、世界のどこかにいくつかあるはずなのですが、詳しいことはわかっていません。ただ稚魚の発見状況からも、日本沿岸には産卵場はないのではないかと私は考えています。

――産卵場にたくさんのマンボウが集まるのであれば、特定の性質をもつ個体が繁殖に有利になることもありえそうですよね。

マンボウ同士のコミュニケーションについては詳しくわかっていませんが、複数個体を同じ水槽で飼育している水族館の人によると、強い個体、弱い個体、という違いはあるようです。

エサやりをするときにけんかをしたり、弱い個体が強い個体から逃げたりすることもあると聞きます。もしかすると、マンボウにも社会性が存在しているかもしれませんね。

――マンボウの繁殖についてわかると、どんなことにつながっていくと思いますか?

生態系のなかでマンボウがどう生きているかがわかります。また、マンボウの数に関わる話としては、マンボウはIUCN(国際自然保護連合)のレッドリストにおいて現在絶滅危惧種に指定されています。

とはいえ、現状ではマンボウの生息数が正確に把握できているとはいえないので、適切な評価をするのは難しい状況です。ですが、今後データが集まってくれば、本当に保護が必要な動物なのかどうかを考えていけると思います。

――マンボウはよく「死にやすい」としてネット上で「ネタ」として扱われていますが、今回おうかがいした「3億個の卵が…」の噂もこうしたイメージを加速させていると感じます。

そうですね。そもそも「マンボウは死にやすい」というのは、ネット上に書き込まれた真偽不明の情報が発端で、Wikipediaや2ちゃんねる、SNSなどのインターネットのツールの発達とともに広がった日本独自のイメージです。海外ではこんな話は聞きません。

「3億個の卵が…」の知見も、100年間の伝言ゲームと連想ゲームで情報が変化して伝わっていったものです。情報源を辿ることは重要だと改めて感じさせられました。

この時代でしっかり正しい情報を発信しておかないと、また違った情報に脚色されてしまいそうだなと感じています。私も新しくわかったことは、Twitterなどでしっかり発信していきたいと思っています。

取材を終えて

「みんなが知っていて、何ならかなり人気の生物なのに、ここまで生態がわかっていないとは」。これまでマンボウについて取材してきた筆者が、いつも思うことです。

マンボウは生態に謎が多く飼育も難しいことから、「死にやすい」というイメージがついて回っています。しかし、フグの仲間から独特の進化を遂げ、大きいものでは3m以上にまで成長。研究も進んだことで、日常的に水深200m以上の深い海にも潜水していることもわかってきています。そんな姿からは、ネットで話題になるような「弱さ」は感じられません。取材をしながら、私たちが知っているマンボウはほんの一部でしかないことを思い知らされます。

とはいえ、その「弱いイメージ」が後押しして、マンボウが多くの人に愛されているという側面もあります。でもどうせなら「誰もその本領をすべて知らないのに、噂が回ってみんなから『弱い』と言われている生き物」ととらえると、さらなる胸アツ展開が楽しみになってきませんか? ねぇマンボウ、めちゃくちゃ強くなくてもいいので、本当の姿を教えてくれよ。これからもマンボウの謎を追っていきます。

<さわい・えつろう> 1985年奈良県生まれ。海とくらしの史料館・特任マンボウ研究員。2017年に、マンボウ属では125年ぶりとなる新種「カクレマンボウ」を発表、名付け親となる。著書に「マンボウのひみつ」(岩波ジュニア新書)「マンボウは上を向いてねむるのか」(ポプラ社)がある。広島大学で博士号取得後は「マンボウなんでも博物館」というサークル名で同人活動・研究調査を行い、Twitterでも情報を発信している(@manboumuseum)。

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