「日本でミカンが食べられなくなる日」コロナ禍に進む”知られざる重大危機”

 ここ数年で、人々は感染症や環境問題が人類に与える影響を強く意識するようになった。しかし「人間に迫るさらなる脅威がある」と指摘するのが、進化生物学者の宮竹貴久教授だ。自然は、人間が油断をしていると、ある日突然牙をむく。そんなリスクの1つが「虫」だという──。

■西日本に迫る「脅威」

 いま西日本に「ある脅威」が迫っている。

 この年末年始は、コロナ禍(か)のために2年ぶり3年ぶりにふるさとに帰省し、家族みんなでこたつに入っておいしいミカンを頬張った人も多いはずだ。

 ところが、「ある脅威」は毎年のように増加し続けており、このままいくと僕たちは冬に日本産の甘い温州ミカン、夏に甘いマンゴーを安心して食べるという日常を奪われるかもしれない。そればかりか、果物や野菜の生産に未曾有の被害が到来し、わが国の果菜類生産が危機的な状況にさらされる可能性がある──と言ったら驚くだろうか。

 「ある脅威」の正体、それは一部報道にもなったミカンコミバエの再侵入だ。

■根絶したはずの害虫が復活

 ミカンコミバエは、メスが果物や野菜に卵を産みつけ、幼虫が実などを食べて腐らせる。日本では1919年に沖縄本島で初めて確認されて農作物に重大な被害を与える「有害動物」に指定された。それから約70年、国と地方自治体が長年駆除・防除に取り組み、1986年になってようやく「根絶宣言」が出されるに至った。

 ところが、である。

 2020年になって、鹿児島で84匹、熊本で5匹、宮崎で1匹のミカンコミバエのオスがトラップで発見された。さらに2021年5月に長崎・熊本・鹿児島でそれぞれ5匹、18匹、4匹のオスが発見されたのを皮切りに、1年間で福岡7匹、佐賀4匹、長崎128匹、熊本41匹、鹿児島23匹、沖縄311匹と、合計514匹(2021年12月13日時点の植物防疫所ウェブサイトより)のオス成虫がトラップされたのである。

 一般の人はピンと来ないかもしれないが、はっきり言って「異常な事態」だ。

 長崎県と鹿児島県内のウェブサイトでは、果実から幼虫が発見されたと公表している。これはつまり、国内での繁殖を許したことになる。公表はされていないが、トラップされたオス成虫の数の多さは、ミカンコミバエが繁殖していた可能性を示唆している。

 侵入害虫の専門家として僕が警告を発したいのは“この点”だ。

■ミカンが食べられなくなる? 

 スーパーで買ってきた「ミカン」の皮をむいて家族で食べようとしたところ、子供たちが「ミカンの房の中に白くて小さなものが動いているよ」と言う。眼鏡をかけてよく見るとそれはウジ虫、つまりハエの幼虫だった。この出来事がトラウマとなり、子供たちは以来、ミカンを食べられなくなった──。

 実はこれは、1986年まで日本の南西諸島でありふれた光景だった。そんな“過去の亡霊”がよみがえって日本全体に広がる危機に、いま僕たちはさらされているのである。

 ミカンの房からウジ虫が湧く日常はなんとしても回避したい。前述のとおり、ミカンコミバエは幼虫がフルーツや野菜を食べて加害する大害虫であるが、近年、世界的にその生息域の拡大が確認されている(*1)。

 わが国でも、ここ数年、このハエのオス成虫が九州で再発見されるようになってきているのだが、この脅威は、九州以外の地域に住む人には広く知れ渡っていない。

■完全駆除を達成した2つの方法

 1919年に沖縄本島で発見され、その後南西諸島に分布を広げていったこのハエは、もともとは東南アジアから侵入した外来種とされ、1980年代前半までは南西諸島と小笠原諸島で普通に見られた。

 ところが戦後、アメリカ政府の統治下にあった南西諸島が日本に復帰するのに合わせて、島で作った野菜を東京や大阪でも販売できるようにするため、ミカンコミバエを根絶する作戦が開始されることになった。

 当時、南西諸島に侵入して定着した有害なミバエ類はウリミバエとミカンコミバエの2種類がいた。政府は2種とも根絶したが、その根絶方法は異なった。

 ウリミバエは不妊にしたオスを大量に野に放して、メスが交尾相手のオスと出会えなくすることで根絶させる「不妊化法」という作戦によって、最終的に1993年に根絶を達成した(*2)(参考記事は「こちら」)。

 一方、ミカンコミバエにはオスを強力に惹(ひ)きつけるメチルオイゲノールという誘引剤があった。この物質を舐(な)めたオスは、メスにはとても魅力的なオスとなり、配偶の機会がグンと増す。つまりモテモテ状態になる。さらにこの物質を舐めると虫は苦み成分を体に纏(まと)うことができ、トカゲなどの捕食者から忌避(きひ)されるようになる。

 繁殖と生存で二重に有利なミカンコミバエに変身させるこの秘薬を農薬と一緒にしみ込ませた、およそ5センチ四方の板(「テックス板」と呼ばれる)を吊り下げておくと、その周辺に生息するすべてのミカンコミバエのオスがこれを舐めに来る。そして、農薬に触れて死ぬ。

 生息するすべてのオスがこれを舐めて死ぬため、メスは交尾できるオスがいなくなり、根絶に至る。これが「オス除去法」と呼ばれる害虫の根絶法だ。南西諸島のミカンコミバエは、この作戦によって1986年に完全に駆逐された(*3、*4、*5)。

■頻繁に九州に飛来するミカンコミバエ

 ところが、根絶から29年が経過した2015年9月、突如としてミカンコミバエは再び奄美大島に現れた。アジアからの風に乗って到達したと考えられる。

 あっと言う間に彼らは島に蔓延(まんえん)し、繁殖してしまった。幼虫であるウジが果実から同時多発的に発生したのだ。

 農林水産省は島外への蔓延防止を目的とした移動規制を決定した。人海戦術を展開して全島にテックス板をばらまくとともに、ヘリコプターからも散布し、柑橘類、マンゴーなど果実類全般、トマト、ピーマン等の果菜類全般の島外への持ち出しを禁止した。

 農家は涙をのんで多くのミカンやトマトを廃棄処分せざるを得なかった。この時、ミカンコミバエの発生は徳之島と屋久島にまで及んだが、再び徹底的な雄除去法を実施することで翌年1月までにはすべての生息個体を駆逐できた。

 近隣諸国から風に乗って飛んでくるミカンコミバエを侵入の初期に発見し、早急に初動防除を行うため、港を中心に日本全土にミカンコミバエの誘引トラップが仕掛けられ、調査が続けられている。実は2012年ごろを境にして、南西諸島ではトラップにかかるミカンコミバエが増え続けていた。そしてここ数年、九州南部でもミカンコミバエが頻繁にトラップされるようになっていたのである。

■「温暖化」と「コロナ禍」という新たなリスク

 なぜ最近これほど多くミカンコミバエの発生が続くのだろうか。

 詳細な原因はこれから十分に検証しなくてはならないが、温暖化により気圧の配置が変わり、風の吹くルートが変化したことが一因と考えられる。また、ミカンコミバエには変異株ともいえる複数の近縁な種類が東南アジアにいる。飛んでくる種類によってテックス板の効果が変わる可能性もある。

 飛来源の地域によっては、すこし変異の異なるミカンコミバエが飛んできて誘引剤の威力が弱まることも想定される。もし誘引剤の効き目がないミカンコミバエが飛来して、繁殖を許す事態になれば、ミカンコミバエの駆除に対して、ウリミバエを根絶させた不妊化法に切り替える検討もしなくてはならない。

 さらに、コロナ禍に特有の問題として、防除する人間側の問題もあったと考えられる。  ミカンコミバエがトラップにかかると、すぐさまその近辺にトラップを増やし、寄主となる果実の調査も行わなければならない。国、地方自治体、農業関係機関が密に連携をとって人海戦術で徹底した駆除が必要となる。

 ところが、地方自治体の現場からは、コロナ禍で人手が他部署にとられてしまい、さらに大人数で連れ立って調査するにも制限がかかり、人海戦術を展開しづらいという声が聞こえてくる。

 幸い国と地方自治体の職員の必死の調査と防除の結果、2021年12月14日時点でミバエの発生はほぼ抑え込まれたと思われる。コロナ禍の中、現場で努力された方々には本当に頭が下がる。

 おそらくミカンコミバエは今年の九州の厳冬期を乗り越えられないだろう。しかし地球温暖化が現在のペースで進むと、九州以北地域の温室ハウスでミカンコミバエが冬を越える可能性がある。なんとしても九州への定着は回避したいところだ。

■日本を「ミカンコミバエ発生国」にしないことが大事

 ミカンコミバエは被害を及ぼす果実の種類がとても多い。一度、繁殖を許すと、国際的に日本は「ミカンコミバエの発生国」と位置付けられてしまう。

 僕たちはアメリカ産のオレンジをスーパーで買うことができる。しかし、ミカンコミバエの発生していない日本にオレンジを輸出するには、出荷前に農薬で燻蒸(くんじょう)処理をしなくてはならない。

 もし日本がミカンコミバエの発生国になると、果実を日本に輸出したい諸外国にとっては好都合だ。燻蒸処理が不要になるからだ。言葉を変えると、わが国を重要な病害虫から守る水際対策をしている植物防疫の仕事は、日本の外交カードになる可能性がある。

 外来生物の侵入について書くと、人が持ち込んだのではないか、と言う人が必ずいる。しかし、ミカンコミバエに限っては、主に発生国から風に乗って日本に飛んでくると考えられている。

 その根拠は、毎年確認される侵入時期と場所にある。毎年の侵入の傾向をみると、まず6月ごろに風に乗って成虫が日本の南西部に飛び込んでくる。普通は初動防除が機能し、単発の飛び込み、つまりオスが何カ所かで見つかるだけで発生は終息する。しかし、いったん初動防除を誤ると、侵入したメス成虫が卵を産んで繁殖してしまう。

 発生がダラダラと続いた昨年は、繁殖した子世代のミカンコミバエが各地に分散し、11月から12月にかけてトラップにかかり続けた可能性が高い。

■害虫防除に最も重要な「人のつながり」

 かつて僕がミバエ類の防除に携わった沖縄での同僚や後輩からいつも教えられる教訓がある。初動防除の鍵となるのは普段からの人脈づくり、ということだ。

 初動防除に強い地方自治体のエキスパートたちは、現場の人々とのつながりを実に大切にして普段より情報を得ているおかげで、ミカンコミバエが1匹でも罠にかかった時には、どの地区に放棄したミカン畑があるとか、ウジ虫を最近見たという情報をいち早く得ることができ、素早い調査と徹底した防除を行える。

 普段の努力がいざというときにものを言う。効率化が重視される最近の行政で、このような地道な作業は軽視されてはいないだろうか。そのわずかな油断が、やがて甚大な被害を呼ぶことになる。

■侵入生物に「国境」はない

 ミカンコミバエの一件が示唆するものは大きい。

 地球温暖化によって生息域を拡大した生物や、物流やインバウンドによって諸外国から入り込んできた生物など、新しい土地に侵入した個々の生物の背景にある事情はさまざまだ。  そもそも生物に国境はない。彼らは国境など気にもせず、移動分散して新しい生息地にやってくる。「侵略的外来種だ」と大騒ぎするのは、僕たち人間が国境なるものを勝手につくったためでしかない。

 生物の分布は常に変化している。近年では、南方系の生物が寒い地方でよく見つかって話題になる。以前は亜熱帯の南西諸島に分布した、たとえばアカギカメムシなどのきれいな昆虫が、2021年には青森や北海道でも観察され、昆虫好き界隈ではかなり反響があった。

 日本周辺の海域では熱帯・亜熱帯性魚類が見られるようになってきた。ペットから野生化したインコが都市部に増えた。中国からコンテナに乗ってやってくるヒアリ、韓国から侵入したツマアカスズメバチ、街路樹や果樹に被害を及ぼすカミキリムシ類などなど数え上げればきりがない。

■われわれは「外来種ランド」を生きている

 侵略的外来生物が日本に来るのは、長い歴史をみればよくあることだ。

 1960年代、街で育った僕らが子供だったころ、家の近所はセイタカアワダチソウがそびえたつ空き地で、石をめくってオカダンゴムシを探した。この植物もオカダンゴムシも1900年代の初めに欧米から日本に持ち込まれて定着した帰化生物だ。

 ようするに「外来種ランド」の中で僕たちは育っているようなものなのだ。

 だが、危険生物が国内に侵入することで、いまを生きている僕たちの日常が奪われることは大きな問題だ。

 新型コロナウイルスによって新しい日常を強いられている僕たちは、それを受け入れる不自由さを痛感している。ヒアリ、セアカゴケグモ、ツマアカスズメバチ、エキノコックス、マダニなど、新型コロナだけではなく人命にかかわる危険因子の分布拡大による被害がメディアを賑わすいまどきの日常である。

■「備え」がすべて

 ミバエ根絶事業について先輩方から何度も聞かされた言葉がある。「火事がなくても消防署は必要だ。ミバエの根絶はこれと同じである」。つまり、一度根絶したからおしまいではないのだ。

 国境は一度決めてしまえばおしまいではないことにも似ているかもしれない。諸外国からの再侵入に備えて、常に警戒し、日頃から訓練をしておかなくては、いざという時に初動防除体制を迅速に起動させることは不可能である。そして、再び僕らはミバエの繁殖を許し、蔓延が生じ、一からすべてをやり直さなくてはならなくなる。

 人がつくり上げてきた根絶のノウハウと、地域に立ち入った人付き合いの絆は、一度途切れてしまうと再びそれを機能させるのに膨大な時間を要する。その間にも害虫は繁殖し続ける。このリスクを僕たちはもっと感じるべきではないか。

■未知の問題に対処する「鍵」

 ミカンコミバエやウリミバエの根絶の過程では、研究者と行政と現場が何度もひざを交えて話し合い、一度決めた方針でもデータを基に見直したり、予算を担当者の裁量で再配分したりと、常に現場を見つつ臨機応変な対応がなされた。

 1986年に沖縄で根絶されたミカンコミバエ駆除の記録をつづった『よみがえれ黄金(クガニー)の島』という本がある(*5)。秋田から沖縄に赴任し、ミカンコミバエの根絶を成し遂げた著者の小山重郎氏は、同書のあとがきにこう記している。

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しかし、わたしはこう考えています。沖縄には本土の、とくに都会にはもうあまりなくなった心のゆとりがあるのです。「雄除去法」というような、未知の問題をふくむ技術においては、状況に応じてやり方を変えていくことのできる、心のゆとりというものが大切なのです。

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 政策や方針は、決まった出口に向かって走るだけではなく、状況に応じてやり方を変えていくという心のゆとりを取り戻すことこそが、新しい日常という未知の問題に対処する鍵となるのではないだろうか。

 ■参考文献

*1 Clarke et at. 2005. Annu. Rev. Entomol. 50, 293-319

*2 Koyama J et al. 2004. Annu, Rev. Entomol. 49, 331-349

*3 Koyama J et al. 1984. J. Econ. Entomol. 77, 468-472

*4 『ミカンコミバエ、ウリミバエ 奄美群島の侵入から根絶までの記録』田中章(2020)、南方新社

*5 『よみがえれ黄金(クガニー)の島 ミカンコミバエ根絶の記録』小山重郎(1984)、筑摩書房

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宮竹 貴久(みやたけ・たかひさ) 岡山大学学術研究院 環境生命科学学域 教授 1962年、大阪府生まれ。理学博士(九州大学大学院理学研究院生物学科)。ロンドン大学(UCL)生物学部客員研究員を経て現職。Society for the Study of Evolution, Animal Behavior Society終身会員。受賞歴に日本生態学会宮地賞、日本応用動物昆虫学会賞、日本動物行動学会日高賞など。主な著書には『恋するオスが進化する』(メディアファクトリー新書)、『「先送り」は生物学的に正しい』(講談社+α新書)、『したがるオスと嫌がるメスの生物学』(集英社新書)などがある。

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