basswave短期集中レポート
バスマスタークラシックへの「もうひとつの道」
PART 6:トーナメント最終日
4日間の日程で開催されたCITGO BASSフェデレーション・チャンピオンシップは、エド・コーエンの優勝で幕を閉じた。1994年、ブライアン・カーチャルがチャンピオンシップを勝ち抜きバスマスター・クラシックで優勝したあの年、そのチャンピオンシップでイースタン組の2位でフィニッシュしたのがコーエンだった。試合後、1位でクラシック出場を決めたカーチャルに「ブライアン、君はこの私に勝ってクラシックに出るんだ。クラシックでもプロ連中をやっつけてやれ!」と激励しビッグマッチへと送り出した。同じイースタンに所属するアングラーとしてコーエンは若いカーチャルを応援していたが、カーチャルはクラシック制覇の数ヶ月後、不運にも飛行機事故で他界する。「あれから11年も経ってしまったが、私はやっとこのブライアンの顔が描かれたトロフィーを持って帰れる。今日のビクトリーは、彼に捧げる」と告げると、会場は大きな拍手とセンチメンタルなムードに包まれた。
(写真上)ジェイミー・フラリックはノーザン組1位、総合2位に入賞。同じノーザン組2位のタッド・テイクスには約9Lbの差をつけ、クラシック出場を決めた。(写真下)佐藤さんと同じウェスタン組の属したデイブ・パルマーは総合3位でフィニッシュした
エド・コーエンもまたカーチャルを愛したアングラーのひとりだった。今大会でコーエンはカーチャルのメモリアル・キャップを着用し故人へのリスペクトを示した。今後もブライアンの父親が運営するブライアン・カーチャル・ファンド(基金)の手助けをしていくという。
ブライアン・カーチャルが1994年にフェデレーション・チャンピオンシップを勝ち抜いて、さらにクラシックも制覇した話は有名だが、実はカーチャルは1993年にもクラシックに出場している。そのときは41位でフィニッシュした。
決勝進出はならなかった佐藤義和さんとその他40名は、この2日間、いわゆる“バケーション”を満喫した。決勝進出を果たし、クラシック出場を夢見てフロリダ入りをしたわけで、心からバケーションを楽しめたとは思えないが、空いた時間を利用して佐藤さんはオーランドのバスプロショップスや、もう1度レイク・トホ湖畔を散歩するなどして過ごした。
トホは週末というのもあり、多くの釣り客でにぎわっており、それを眺めながら「(大会の)結果がどうとかは別として、せっかくフロリダに来てるんだから、もうちょっと釣りがしたかった(笑)」と苦笑しながらも本音をもらした。
「今回、アメリカではじめて釣りをして思ったのは、今日本からこっちに来てトーナメントに出てる選手がいるけど、ホントに大変だろうなーって思うよ。私は主催者がボートを用意してくれたし、エンジンが壊れたらチェックしてくれるし。でも彼らは自分たちで全部やるわけでしょ。移動とか、練習とか、トラブル、食事、洗濯とかそういうのを乗り越えて、やっとトーナメントに出られるんだから。ホントにリスペクトするよ」と米大会転戦の苦労を改めて感じた。
+PART 1:参戦直前の佐藤義和さんにインタビュー
+PART 2:本戦直前プラクティス
+PART 3:トーナメント初日
+PART 4:トーナメント2日め
+PART 5:トーナメント3日め
+PART 6:トーナメント最終日
+PART 7:最終話