「釣りキチ三平」作者がコロナ禍に発信した「ガマン」のメッセージ 評伝作者が語るマンガ家・矢口高雄さんの素顔

 2020年11月、マンガ家の矢口高雄さんが亡くなった。「釣りキチ三平」「マタギ」など自然と人間とをテーマに扱った代表作は特に今でも人気が高い。


 元産経新聞記者の藤澤志穂子さんは、2016年に秋田支局長に就いたことをきっかけに、地元出身のマンガ家である矢口さんと知り合い、以来、5年がかりで30回以上のロングインタビューを敢行。その話をまとめた著書『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)の刊行を翌月に控えた時期に、訃報に接することとなる。矢口氏自身、刊行をとても楽しみにしていたという。同書のオビには、里中満智子さん、きくち正太さん、東村アキコさんといった人気漫画家の矢口さんへの賛辞が掲載されている。
 ファン、同業者から熱い支持を集め続けた矢口さんとはどういう人物だったのか。
 追悼の意を込めて、藤澤さんが特別に寄稿してくださった原稿を3回にわけて掲載しよう。
「ガマンだガマン ここ一番が踏ん張りどころ 暗い闇夜も必ず明ける」
 これは2020年11月に亡くなったマンガ家の矢口高雄さんが3月、ツイッターに発信したメッセージです。代表作「釣りキチ三平」の主人公である「三平くん」が、珍しく暗い顔をしたイラストが添えられていました。このイラストとメッセージは、生まれ故郷である秋田県横手市の市報にも掲載され、多くの人々を勇気づけました。
 矢口さんは、スマホもパソコンも使わない「ガラケー」派、連絡は三平くんなどのイラストを印刷したオリジナルハガキ、という徹底した「アナログ人間」でしたが、次女のかおるさんの勧めもあって、満80歳を迎える年の2019年6月からツイッターを始めました。
 最初はおっかなびっくりだった矢口さんが、次第にハマり、元気がみなぎっていく様子を、私は評伝『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)のため5年をかけた取材にあたり、垣間見てきました。
 実はツイッターの入力、発信は次女のかおるさんが代行していました。週1回、かおるさんが夫と一緒に実家に戻って更新作業をしてくれるのを楽しみに、矢口さんは自宅の居間で晩酌をしながら、画用紙のスケッチブックにイラストを描き、メッセージを考えていました。東京都内の閑静な住宅地、庭には秋田から取り寄せた木々が植えられている、静かで居心地の良い空間です。フォロワーは瞬く間に2万5000人に拡大(現在は2万8000人)。全国で鳴りを潜めていた矢口ファンが、ツイッターをきっかけに再び息を吹き返したかのようでした。書き込まれるツイートはかおるさんが印字して矢口さんに見せ、時たま発する矢口さんのツイートはかおるさんの代筆でした。
「こんなのも描いてみたんだよ」と、恥ずかしそうに出してきたのは、割り箸の箸袋の裏にササっと描かれた「三平くん」でした。「ツイッターのネタになるんじゃないかと思ってね」。かおるさんは「白い紙とペンがあれば、気づくと何か描いています。子供と同じです」と応援していました。
 動画では、三平くんの幼なじみであるユリッペの肝っ玉母さんを描く一部始終を紹介。「ペンが走る音、描く息遣いも感じてほしくてね。40年以上前に描いたキャラクターに、こんなにも愛情を示してもらえるなんてありがたい」。矢口さんは、ファンとの交流を心から楽しんでいました。
 ある時、矢口さんは「ボクはもう過去のマンガ家なんでしょうネ」とつぶやきました。
 学校長を務めていた札幌市の札幌マンガ・アニメ&声優専門学校で、10〜20歳代の学生たちに講演した際、「釣りキチ三平」を読んだことがないどころか、紙のマンガすら触れたことがなさそうな様子にショックを受けたからでした。
 それに対し「『過去、かもしれない。だが、古くはない』という返信が来ました。「宮城県の釣り愛好家らしい人でね。本当にうれしいひとことだった」。ツイッターは、晩年の矢口さんの生きがいだったともいえましょう。
 発信が少なくなってきたのは今年の夏以降でしょうか。すい臓がんが見つかり、治療に専念していたためです。体が大変つらい時期が続いたそうです。
 死去の第一報は、ツイッターで発表されました。亡くなった11月20日から5日後、密葬などが全て済んだ後でした。即座に全国にニュースが伝わり、多くの人がその死を悼みました。ツイッターのフォロワーはその後、2万8000人に増え、かおるさんが矢口さんの思い出を語ったり、矢口さんに関する話題を紹介したりしています。今もツイッターは、矢口さんとファンをつなぐ架け橋になっています。
藤澤志穂子
元産経新聞秋田支局長。学習院大学法学部政治学科卒、早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学ビジネススクール客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に「出世と肩書」(新潮新書、2017)。東京都出身。
藤澤志穂子(元産経新聞秋田支局長)
新潮社 2021年1月20日 掲載
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