犯人は生き物好き?池にブラックバスを放つ謎

「生き物好き」という言葉がよく聞かれる。生き物に対する知識を持ち、飼育・繁殖などの技術のある人も珍しくない。ただし自分勝手な愛をこじらせ、暴走させ、生き物を悪用した卑劣な?犯罪?を引き起こしてしまう人もいるのをご存じだろうか。その被害は取り返しがつかない。朝日新聞科学医療部の小坪遊氏著『「池の水」抜くのは誰のため? ――暴走する生き物愛』を一部抜粋・再構成し、知られざる事件と意外な展開を紹介する。


 岐阜県養老町と海津市の境目の下池地区。濃尾平野の西の端、三重県との県境に位置するこの地域は、西側を山、東側を木曽川水系の揖斐川(いびがわ)に囲まれています。川の水位よりも低い土地もあり、水田地帯が広がっています。
 この地域は昔、下池と呼ばれる大きな池の一部でした。そのまん中に、「下池ビオトープ」はあります。直径20メートルにも満たず、筆者も胴長を着て入ってみると、あっという間に1周できました。澄んだ水がためられ、周囲の水路を網ですくうと、ドジョウや小型のゲンゴロウの仲間、ダルマガエルの仲間などが次々に捕れました。
 この池には、とても貴重な魚がすんでいます。その名はウシモツゴ。日本でも、岐阜や愛知などにしかいない、体長5センチ前後の小さな魚です。環境省のレッドリストでは、絶滅危惧IA類に分類されています。これは絶滅の一歩手前というくらい危ない状況だというレベルです。
■「下池ビオトープ」のとても貴重な魚
 岐阜県は、条例によって「指定希少野生生物」に指定し保護しています。捕獲や殺傷など、禁止されていることをすれば、1年以下の懲役や100万円以下の罰金が科せられます。
 下池ビオトープにウシモツゴがいる背景には、地元の歴史と、人々の努力があります。
 この地域には10年くらい前まで、国の天然記念物で、種の保存法の国内希少野生動植物種(希少種)にも指定されているイタセンパラというタナゴの一種など、貴重な生物が残されていました。
 しかし、農業の近代化に伴う生息地の消失や、侵略的外来種の侵入によって、貴重な生き物が次々と姿を消していきました。ウシモツゴも1990年を最後に確認されていませんでした。
 では、なぜ今下池のビオトープにウシモツゴがいるのか。それは、最後の確認の少し前から、絶滅の恐れが高いとして、滋賀県の琵琶湖博物館に一部が移され飼育が続けられてきたからなのです。
 この「下池のウシモツゴ」たちが琵琶湖博物館で大事に保存される一方、2004年には地域の小学校などと連携し、ウシモツゴを里帰りさせるプロジェクトが立ち上がりました。大人たちも取り組みを進めました。
 2008年に生物多様性保全活動を通じた地域づくりを目指して組合を作り、観察会やシンポジウムなどで少しずつ意識の向上や、合意形成を進めていきました。ビオトープを造成し、ウシモツゴがすみやすいよう改良も重ねたのです。
 2014年、ついに50匹のウシモツゴが里帰りして、ビオトープに放されました。その後も地域の人たちとともに、定期的に生息の状況を調べるなど、放流後のモニタリングも行っています。翌年には産卵も確認されたそうです。
■誰かがブラックバスを放った
 2019年8月、このビオトープで大事件が起きました。ブラックバスが放されたのです。しかも3回にもわたって。ブラックバスは北米原産の肉食性の淡水魚。日本では在来の魚や昆虫を食べてしまい、各地で生態系を破壊しています。
 外来生物法で特定外来生物に指定されており、移動や飼育、放流は禁止です。自治体によっては、釣った後のリリースすら禁じているところもあるほどです。
 ブラックバスは毎回複数匹ずつ池に放たれていました。口にはルアー釣りで付いたとみられるフックの跡が残っている個体もいたといい、飼育されていた個体というよりは、放された時点からそれほど経っていないタイミングで釣り上げられて、運ばれてきたと考えられます。
 池に放されて、すぐに死んでしまった個体もいましたが、その年の11月に池干しをした時まで生き残っていたものもおり、ウシモツゴの数も例年の5分の1以下に減っていたそうです。
 不可解なのは、下池ビオトープはブラックバスの生息に適しているとはとても思えないことです。下池ビオトープの周囲はずっと大きな池に囲まれており、さらに500メートルほど東に行けば岐阜県の人気バス釣りスポットとして知られる五三川もあります。
 バスの放流はもちろん違法行為ですが、それでももし放流した人がバスの命を大切に思っているのなら、せめてバスがすみやすそうなところに放しそうなものです。
 これは明らかに貴重な生き物がいる下池ビオトープを狙った行為だと考えられます。バスが生き残ろうが死のうが関係ないような投げやりなやり方、釣り上げてからわざわざ運んで来るという執念、それらの行為を執拗に繰り返すという粘着質な手口。非常に悪質な感じも受けました。でも、ここまでの恨みを抱く理由が私には分かりませんでした。
 ふと、「どうしてこんなことをするのでしょうか?」と地元で活動に取り組んでいる東海タナゴ研究会の北島淳也さんに聞いてみました。「なんでしょうね。テロなんですかね」。北島さんは淡々と答えました。
■悪質な行為に戸惑う人々も
 犯人は今も分かりません。しかし、下池の状況を知る関係者には気になる存在がいます。それは「一部の悪質なバサー」です。
 ブラックバスは一部の釣り人らには、非常に人気のある魚でもあります。バス釣りを楽しむ人々をバサーといい、バスプロと呼ばれる専門の人々までいるほどです。
 もちろん、誰も証拠を持っていませんので、本当に悪質なバサーによる行為なのかどうかは分かりません。すべてのバサーが悪い人なのでもありません。一方で、一部の悪質なバサーによる迷惑行為は、何年も前からたびたび各地で問題となってきました。
 立ち入り禁止場所で釣りをする、糸(ライン)やルアーなどの投棄、ゴミやタバコのポイ捨てなど、悪評は多々あります。中には「ゲリラ放流」などといって、ブラックバスを密放流するものもいたといいます。
 「ゲリラ」などと聞くとたいそうな感じですが、何のことはありません。自作自演の犯罪行為を勝手にそう呼んでいただけです。そうした行為に地元の人たちや、環境団体、NGOなどは怒っています。
 強調しておきたいのは、ブラックバスを釣ること自体は法に触れないことが大半だということです。また、今バス釣りをする人の大半は、ブラックバスが日本各地に広く分布し、釣って楽しい魚だから釣っているだけです。
 あえて生態系を破壊しようなどとは考えていない人がほとんどでしょう。ゴミ拾いをして帰ったり、ため池でのかいぼりなど、外来魚の駆除作業に協力したりする人もいます。中には「昔ブラックバスを逃がしてしまったので、罪を償いたい」と言って参加を申し出る人すらいるそうです。
 しかし、一部の心ない人の悪質な行為が地元との摩擦を生み、バサー全体のイメージを悪化させていることも事実です。東海タナゴ研究会のメンバーは「テロに使われるバスも被害者だ。バサーも一緒に怒って欲しい」と呼びかけます。
 実際に、ビオトープがある下池でも悪質なバサーとの摩擦は起きていました。下池ビオトープの周囲にある人気のバス釣りスポットには、平日でもバサーの姿があります。他県ナンバーの車も来て路上に駐車しています。
 こうした車が道路をふさぐことで、地元の農家が使うトラクターなどが通る際の妨げとなることがしばしばあるそうです。その程度ならまだしも、注意されたことをきっかけに一部の悪質なバサーと地元の方との間で口論や、つかみ合いなどのトラブルも起きているといいます。
 こうした中でビオトープに何度も執拗にバスが放されたことが、関係者に「悪質バサー犯人説」を呼び起こしています。放流した人物が、地元の歴史や、ウシモツゴ復活の経緯をどこまで知っていたのかは分かりませんが、そこに何か大事なものがいることは理解していたのでしょう。
 ブラックバス放流事件がSNSやネットメディアなどで話題になると、不思議な出来事が起きました。東海タナゴ研究会宛てに突然、防犯カメラが送られてきたのです。同封されていた伝票には「我々も密放流は絶対に許しません! 協力させてください!! バス釣りファン一同より」と書かれていました。
■生物の多様性を守る必要
 東海タナゴ研究会の北島さんは「どうして送ってくれたのかは分からない」と断った上で、「バサーにもいろんな人がいます。それに水辺というのは国民の財産であり、誰でもアクセスできる権利があります。できれば誰かを閉め出したりせず、みんなで水辺を利用できる解決策を考えたい。甘いといわれるかもしれませんが」と話してくれました。
 水辺は誰かだけのものではなく、末永く大事に使っていかなければなりません。ですが、ブラックバスの密放流は犯罪であり、絶対にやってはいけません。また、水辺の生物多様性を保全して、その恵みを次世代へも引き継いでいくためには、バスを取り除いていく必要がある場所がほとんどでしょう。
 防犯カメラを送って来た「バス釣りファン一同」の皆さんと地元の人々が今後どう協力していけるかに期待し、注目しています。
小坪 遊 :朝日新聞科学医療部記者
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