「食べる」「着る」「住む」「排泄する」といった身近な営みを出発点に
路傍や空き地、コンクリートの割れ目。都市の隙間には、自生する植物だけでなく、外来種や人工物と共存する生き物などが新しい生態系が作っている。異常気象や気候変動の影響が世界で広がり、人間の生活が自然環境を変える大きな要因となっているいま、自然と人工の境界は曖昧になりつつある。そんな現代の都市のなかで、私たちはいかにして自然とのつながりを取り戻せるのか。そうした問いを出発点としたグループ展「種と根っこ―都市の耕し方」が、東京オペラシティ アートギャラリーで開幕した。会期は12月20日まで。
本展は、同ギャラリーの能勢陽子、福島直、瀧上華の3人のキュレーターによって企画された。現代美術、建築、ファッションと各キュレーターがこれまで携わってきた領域をまたぎ、会場には、「食べる」「着る」「住む」「排泄する」といった身近な営みを起点に、多様な視点で「自然とのつながり」というテーマを扱った作品が集う。参加アーティストは、浅野友理⼦、板坂留五、今村⽂、岩名泰岳、加藤美佳、⻄條茜、鈴⽊初⾳、䑓原蓉⼦、保良雄、⼭縣良和の10組。
タイトルの「種と根っこ」は、人間の移動やその過程における変容、アイデンティティやルーツ、創造の種がどのように根付くのか、といった視点につながるものとしてつけられた。能勢は「本展の作品をよく見ていただくと、かならずしも美しかったり、かわいらしかったりする植物ばかりではない。そこには、生命がそもそもはらんでいる残酷さや自然環境に対する人間の業なども見えてくるのではないかと思う。本展を通して、都市のただなかにいながら、人間も自然の一部であり、様々なやり方でその感覚を取り戻せるということを感じてもらえたら」と展覧会に込めた思いを述べた。
ここでは会場を巡りながら各作家の主な作品を紹介する。
絡み合う植物や生命、変わりゆく風景
展覧会は展示室の外から始まっている。入り口付近に置かれた、植物のプランターと家具が一体化した椅子は保良雄の作品で、中には薄荷が植えられている。会場内にもそれぞれ種類の異なる和薄荷と改良品種が点在し、人間が様々な動機で作り変えてきた植物の変化を映し出す。
本展では、展覧会全体が都市の共同菜園や多様な種類の植物がある庭をイメージした構成になっており、ふたつの展示室に広がるそれぞれの作品は、ゆるやかにつながりながらひとつの風景をかたち作る。
最初の展示室内に足を踏み入れ、まず目に入るのは、今村文による赤い花の作品群だ。壁一面に貼られた35点の《温かい家》の植物のかたちは、どこか心臓や肺、血管など人体を思わせる。これらはすべて架空の花で、作家は水彩画をコラージュして異なるイメージを作り上げている。今回はこの「家」が外につながっていくイメージで、「裏庭」となる新作インスタレーションも制作した。平面作品の《赤い花ふたつ》では、隣合って根や枝葉が絡み合う植物の姿に、目には見えない人と人との関係性を重ねている。
浅野友理子は、東京オペラシティの植栽を管理する造園家への取材をもとに、絵画《落果の営み》を描いた。実が落ちて地面を汚すため早めに剪定されてしまうヤマモモは、「山のおやつ」として食べられてきたものでもある。そこに都市におけるひとつの自然の在り方を見た作家は、アスファルトに落ちるはずだったヤマモモの染みを、共生関係にあるイヌビワとコバチや、都市で出会った虫とともに生き生きと描き出した。自身で育てた植物や記憶の中の植物がひとつの庭を形成する《綯い交ぜの庭》でも、草花や虫、人間が絡み合う自然のネットワークを感じさせる。
岩名泰岳は、過疎化が進む故郷の三重県島ヶ原に暮らし、土地や暮らしの変容をめぐる絵画を制作してきた。今回は2020年代以降の絵画とドローイングを中心に展示。描かれているのは、空き家になって倒壊した家の柱や、道端の野仏、墓石のような丸い石など、作家が日々の生活で目にしたものや、人々の記憶の中にある風景だが、それらはシンプルな形態へと抽象化されている。そこには故郷の景色が変化するなかで風景が抽象化されていくようにも感じたという作家の感覚が反映されている。作家は、場所に残る痕跡や時間の移り変わりを絵画でとらえたい、と話す。
2026年に制作された《浄土》では、村の外れにある廃棄物処理場の光景に着想を得た。人が出したゴミから堆肥が作られる際に立ち上る湯気に人魂のイメージを重ね、再生と循環をテーマに描いている。
生活と地続きの創作、暮らしの中にある素材
より身近で個人的な日々の営みへ目を向け、素材そのものを暮らしのなかに見出す作家たちもいる。
展示室中央に並ぶ筒状の毛糸は䑓原蓉子の新作だ。絨毯制作などに用いるタフティングによるラグ作品で知られる䑓原は、幼い頃に祖母に教わった編み物を心の拠り所としてきた。本展では、作家が日々気持ちを落ち着かせるために編んだものが月ごとにまとめて並べられており、長さや編目の詰まり具合の違いに、その時々の心の状態が表れている。毛糸は生活のなかで䑓原が食した玉ねぎの皮で染められ、煮出す量や時間によって色の違いが生まれる。タイトルには「何年何月」とその時々の年月がつけられており、日記のような作品のなかに、個人的な経験と自然の変化が溶け合っている。
小部屋に並ぶ鈴木初音の作品も、素材が作家の生活とつながっている。鈴木の作品では、自身が食べるために植えた菊芋の茎を漉いて作った支持体に、はんだごてで焦げ目をつけて描いた変形の平面作品や、旅先で食べた牡蠣の貝殻に着想し、貝殻を焼成して作った石灰モルタルを引っ掻いて描いた作品など、自身の生活のなかの出来事と創作が直接的に結びついている。鈴木はこうした手法を通して「私が生きていることと絵を描くことが地続きになっていることを体感できる」と話す。今回は、様々な生き物が生きる水辺をイメージした作品群が並び、壁にも水面に広がる波紋のような絵が描かれている。
加藤美佳が素材にしたのは、とうもろこしの芯やひげなど、家庭から出て捨てられてしまうような小さく儚いものたちだ。「人間が戦争をやめられたらいいと思っている」と話す加藤のなかには、日常へのまなざしと遠く離れた場所への想像力が共存する。今回は、荒廃した世界で取り残され、有り合わせのものをおもちゃにして遊ぶ子供たちに寄り添いたいとの思いから素材を見つめ直し、《Grandma, Grandma, I’m Making a Meadow》と題したインスタレーションを制作した。ふわふわとしたひげの山の周囲から天井へと伸びる輪のつらなりは、天国の誰かとつながるイメージだという。
行列、広場、水。人と人、異なる要素が集まる場所
ふたつ目の展示室では、人が集まる場や共同の営みへと視点が広がる。
一際目を引くのは、ファッションデザイナー・山縣良和による骸骨のランウェイだ。山縣は、子供がトイレの前に人形を並べて遊ぶ光景に着想を得て、人間の根源的な営みとしての「行列」をテーマにしたインスタレーションを制作した。現在開催中の「第一回前橋国際芸術祭2026」で発表している作品のコンセプトを引き継ぐ本作は、展示室外の廊下から彫刻や玩具などが並び、子供から大人へと成長する過程が表現される。「学び」の行列の先には、山縣が主宰するcoconogaccoの学生の作品も並ぶ。
「行列」には古代から続く祝祭儀式の側面があるいっぽう、静かな服従や規律も思わせる。展示室では、戦地を想起させる、顔を覆われて横たわる人形の「列」が、仏教絵画の九相図に着想を得た骸骨のランウェイへとつながる。さらに、子供の誕生を祝福するつるし雛をモチーフにした衣装が上階へと伸び、生と死の循環が、続いていく行列を通して表現されている。
行列の向こうには、建築家の板坂留五が「広場」のような集いの場を作った。「普段とアウトプットは異なるが、頭や手の使い方、周囲に応答するような作り方は近い」と板坂。レンガのようなブロックは、同ギャラリーの前回展「ほぼ、空:青木淳 + リチャード・タトル」で使われた発泡スチロールを切って再利用したものだ。状況に応じて、来場者がここから作品を鑑賞したり、トークイベントが開催されたりする場になるという。さらに板坂は、音楽家の櫂快太郎と協働し、30分に1回音を発する作品も制作した。鐘の音や声などのサウンドが時報のように流れ、展示室内の時間の動きを可視化する。
奥で強い存在感を放つのは、西條茜の大きな陶作品だ。手捻りによって作家の身体感覚の痕跡を残した独特の造形は、釉薬の色彩や質感、形態がどこか人間の臓器を思わせる。本展では大きな急須のようなかたちや畝のようなかたちなど、「水」の要素を伴う新作を制作。内部に湛えた水を、隣にある保良雄の薄荷の苗に注ぐパフォーマンスも行われ、その様子が映像で紹介されている。集団で水を注ぐ行為は儀式的であると同時に日常的な労働でもある。西條は人々がともに作業し休む、コミュニティのような場をイメージしてこの空間を構想したという。
保良は前述の薄荷の作品《home》に加え、1時間に10分だけゲートが開くインスタレーション空間を制作した。福島のリサーチを続ける保良は、帰還困難区域でいまも一時帰宅というかたちでしか戻れない人々がいることを指摘し、「土地を奪われた人、奪われた原因はなんなのかをもう一度考えることができたら」と語る。中に入ってみると独特の香りが鼻を掠める。ガラスで覆われ触れることのできない土のブロックが足元に敷かれ、空間内には、絹糸や岩塩、大理石、溶岩石などが配置されている。明滅する電球、福島県大熊町で録音された鳥の声のリズムと連動する水滴、放射性物質の検査を経て蒸留された植物の一部など、異なる来歴や時間を持つ要素が共存し、静謐な空間を作り出す。
「自然とのつながり」をテーマに据える本展だが、そのアプローチは作家によってじつに様々だ。家の内側から故郷の風景、日々の食べ物や衣服、人が集う広場、福島の土地まで、作品が向き合う対象は多岐にわたる。都市と農村、過去と現在、人と人、人と自然。それらが絡み合い、私たち一人ひとりもその一部であることに、あらためて気づかされる。本展は、そのつながりを考えるきっかけになるだろう。
