2007年09月04日

海を渡った淡水魚:戦中「食料」移送物語/下 日中人的交流に一役 /茨城

 体長1メートル近い魚の集団が川面から2〜3メートル跳ね上がると、夏の光を浴びた銀のうろこが川面にきらきらと輝いた。五霞町と埼玉県栗橋町の境を流れる利根川で7月、産卵期を迎えたハクレンが見せる豪快なジャンプは地元の夏の名物だ。

 だが、食用として持ち込まれたことを知る人は少ない。
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 戦時中、中国から移送されたコイ科の淡水魚ソウギョ、ハクレンは、霞ケ浦・利根川水系でだけ自然繁殖したとされる。
 戦後、食用としての普及も模索された。県や国はハクレンをあらいや、フライ、から揚げなどに調理し、たびたび試食会を開いた。しかし「身が臭く、煮ると柔らか過ぎてあまりおいしくない」といつも敬遠された。
 漁師として普及に携わったかすみがうら市の桜井謙治さん(68)は「戦後の何でも食べる時期ならともかく、飽食の時代に食べるものではないのかな」と悔しそうだ。
 1949年ごろから、当時の県水産振興場(土浦市)で霞ケ浦の魚の研究にあたり、試食会にかかわったことがある土浦市の加瀬林成夫(としお)さん(78)は「戦時中のタンパク資源という着眼点は良かった。一時的にではあれ目的は達成したと言えるのでは」と振り返る。
 環境省は「在来植物群落を壊滅させる事例もある」としてソウギョを「要注意外来生物」に挙げる。県は、地元漁業者を通じてハクレンを年間約60トン駆除し、魚粉にして飼料などに利用する。漁政課は「当初の目的と状況が異なっているのは事実」と話す。
 「国の政策に従い命がけで持ってきただけに、役に立たなかったというのは残念」。1942年度の移植に参加した水戸市の草野政良さん(84)は視線を落とす。
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 草野さんの上司で、県の責任者として中国に渡った故鈴木権次郎(ごんじろう)さんの息子たちも複雑な思いでいる。筑西市に住む成一さん(73)、捷紀(かつのり)さん(64)兄弟は、父たちがソウギョ、ハクレンを身をていして運んだ苦労を資料や草野さんの話から知り、志の高さに胸を熱くした。「移植したメリットはなかったが、国民のために命をかけた父の姿はもう少し評価されていい」と思う。「最近、日中間は緊張しているが、政治を離れた水産の現場で、戦争中も中国と人間的な協力関係を結んだ人たちがいたことを知ってもらいたい」【清野崇宏】 9月3日朝刊

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Posted by jun at 2007年09月04日 06:26 in 魚&水棲生物

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